高島宮

『日本書紀』によると、太歳甲寅の年の10月5日に軍舟を率いて日向を出立し、大和へ向かう東征を開始した彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと。後の神武天皇)は、豊後水道を通り筑紫国、安芸国とを経て、翌年(乙卯年)3月6日、吉備国の高島の地に行宮を造って3年間滞在し、その間に船舶や武器の準備、兵糧の備蓄を行った上で、戊午年2月11日に再び大和へ向かい出航したというが、この時の行宮が高島宮である。ちなみに神武天皇の即位は高島宮進発の3年後、辛酉年であるとされている。『古事記』も大同小異の伝承を記すが、高島宮での滞在を8年間としている。

昭和13年(1938年)から15年にかけて、文部省が当時の学界の総力をあげて学術的な「神武天皇聖蹟調査」を試みた結果、当時の岡山県児島郡甲浦村大字宮浦字高島(現岡山市南区宮浦)を「聖蹟伝説地」に認定した。宮浦には高島神社が鎮座し、高島宮の故跡に後世神社を創祀したとの伝承をもつため、この文部省の調査によってほぼ公認された状態であるが、同様の伝承を有し、または故跡に比定される神社(論社)は岡山県内や周辺一帯に複数存在している。

ちなみに「高島」の「島」は、必ずしも島を意味するとは限らない名称である。

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東京都の豊島区はソメイヨシノ発祥地

ソメイヨシノ

日本の国花であるサクラの代表品種、ソメイヨシノは、現在の豊島区駒込から巣鴨の旧染井村が発祥。染井の植木屋が江戸時代後期、交配して生み出した新種がソメイヨシノである。旧染井村では鉢植えをつくることが盛んで、ここでつくられた植木や盆栽は、花売りによって江戸中に運ばれていた。1860年(万延元年)に染井を訪れた英国人植物学者、ロバート・フォーチュンはその種類の多さに驚き、世界一とのお墨付きを与えている。また霧島ツツジも多くつくられ、JR駒込駅の土手が春になるとツツジでいっぱいになるのは、その名残である。

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帰宅部 ひま部 無所属

帰宅部とは、クラブ活動(部活動)が強制されていない学校で、放課後の部活動をせずに帰宅すること、およびどの部活動にも所属していない児童・生徒を意味する俗語。

うちの学校では「ひま部」や「無所属」なんて呼び名もありましたな。

放課後の部活動が強制でなく「任意」とされている学校で、どの部にも所属しないまま帰宅するため、「帰宅部」と呼称される。

その理由として、

■ アルバイトをするため。
■ 受験で塾や予備校に通うため。
■ 受験のみならず、学業そのものに集中するため。
■ 学校外での活動を楽しむため。
■ 希望する部活動が学校に存在しないため。
■ 学校内の部活動より、校外のスポーツクラブで活動したいため。
■ 家庭の事情を抱えているため。
■ 元所属先でのトラブルにより、部活動をする意欲を喪失したため。
■ 部活動そのものに興味・関心が無いため。

などが挙げられる。

部活動に参加しないことで自由時間が増えることから、過剰な塾通いや、生徒が非行に走ることを懸念する意見と交えて報じられることがある。

また、少子化による生徒数の減少や、生徒の意識の変化、指導する教師の忙しさや指導者不足が背景にあるとする報道もある。

中学校では約7割の生徒が何らかの部活動に参加しており(受験期の中3を除外すると約9割)、「帰宅部」にはそれに参加しない者という揶揄あるいは自嘲の意味合いもあるとされる。1989年(平成元年)の学習指導要領改訂以降、部活動がカリキュラム内に組み込まれたため、ほぼ「必修」に近い形となっており、多くの学校で部活動加入が強制となっている実情があるとされている。

「帰宅部」という言葉は1980年代後半から使用例が見られ、読売新聞の解説記事では1986年(昭和61年)における流行語の一つとして「帰宅部」を挙げている。また、1996年(平成8年)の産経新聞の記事では「『帰宅部』は死語になった」とも報じられている。

学園漫画やドラマなどのフィクション作品では、中学・高校の部活動が強制でない場合もあるため、「帰宅部」が題材として用いられることもある。

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モバイルアプリケーション

モバイルアプリケーションとはスマートフォン、タブレットコンピュータ、その他携帯端末で動作するように設計されたコンピュータプログラム。「携帯アプリ」「スマホアプリ」あるいは単に「アプリ」と略されることも多い。

2008年から登場していて、App Store、Google Play、Windows Phone Store、BlackBerry App Worldのように基本的にモバイルオペレーティングシステムメーカーが運営するアプリケーション配信プラットフォームを通じて利用するのが一般的である。

有料で配信されるのもあれば、無料で配信(ソフトによっては課金するものがある)されるアプリケーションもある。一般に、プラットフォームからiPhone、BlackBerry、Android端末、Windows Phoneといった目的の端末にダウンロードするが、ラップトップ(ノートパソコン)やデスクトップコンピュータにもダウンロードできるアプリケーションも存在する。

一般的にアプリケーション価格の30%ほどは「手数料」などの名目で配信元(iTunesなど)に渡り、残りはアプリケーション作者に配分される。平均的なスマートフォンユーザー数によって同じアプリケーションでもiPhone、Android、BlackBerry 10といった端末で価格が異なることもある。

「app」(アップ)という用語は「アプリケーションソフトウェア(application software)」の略称で、よく使われる言葉して定着していて、米国方言協会は2010年にこの用語をワード・オブ・ザ・イヤー(Word of the Year、今年の言葉)に選出した。2009年、技術コラムニストのデビッド・ポーグ(英語版)はより新しいスマートフォンを初期の洗練されていないスマートフォンと区別する形で「アプリフォン(app phones)」と名づけている。

初期のモバイルアプリケーションは電子メール、カレンダー、連絡先、株価情報、天気予報といった一般的に生産性や情報検索のためのアプリケーションが提供されていたが、ユーザーの需要拡大や開発ツールの機能が発達したことで、デスクトップ用アプリケーションソフトウェアパッケージで提供されている他のカテゴリのアプリケーションも提供されるようになった。アプリケーションの数や種類の増加により、幅広いレビューやお薦め、ブログ、雑誌、専用オンラインアプリケーション情報サービスといったキュレーションソースが出現するようになり、アプリケーションの探索が発達した。2014年には政府規制機関がアプリケーション、特に医療系アプリケーションを規制やキュレートする試みを始めた。

モバイルアプリケーションの利用は発達し続けていて、携帯電話ユーザーの間で利用が増え続けている。2012年5月、コムスコアによる研究によれば先の四半期の間においてモバイルユーザーの中でアプリケーションを使う人とブラウザで見る人の割合がそれぞれ51.1%と49.8%いう結果たった。また、研究者はモバイルアプリケーションの使用率がユーザーの場所と時間による環境と依存度が強く関係していることを発見した。

市場調査会社のガートナーによれば、2013年のアプリケーションダウンロード数が102億(うち91%が無料アプリケーション)で、売上高も2012年の18億ドルから44%増の26億ドルに達するとしている。さらにアプリケーション市場の成長により欧州連合でアプリケーションの売上高が10億ユーロを超えていて、欧州連合28カ国で529,000人の雇用を創出していると発表したアナリストもいる。

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公務員

公務員は、国および地方自治体、国際機関等の公務、すなわち公共サービスを執行する人のこと。または、その身分のこと。国際機関の職員は国際公務員といい、中央政府に属する公務員を国家公務員、地方政府(地方自治体)に属する公務員を地方公務員という。

公務員の身分と職の関係については、アメリカと日本は、はじめに公務員の職(または官職)があって、法令で定められた方法により特定の職にあてられた者が公務員の身分を取得するという公務員制度を持っている。これに対してフランスやドイツなどのヨーロッパ大陸諸国は、はじめに官吏という身分が存在し、法令に基づいて官吏の身分に任命された者が特定の職に補せられるという制度である。

現代も使用されている公務員という用語は、従来より普通に用いられたものではなく、日本の明治時代を以て嚆矢とされる[1]。1901年(明治34年)からの第16回帝国議会 において、刑法改正案が提出され、この草案の第7條において「公務員と称するものは、官史・公史・法令により公務に従事する議員・職員・その他職員」と定義された。以降、それまで漠然と用いられていた官職でなく、より明確な意味の公務員が使用されるようになる。

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東京 豊島区 区名の由来

東京 豊島区

北豊島郡に属する4つの町が合併して東京市に編入される時に、郡名からこの名前が採用された。ただし、豊島区の前身である4町は北豊島郡の一部に過ぎず、元々の北豊島郡は現在の北区から練馬区にかけての広い範囲を含んでいた。本来の郡の中心地は板橋町であったが、東京市に隣接する4町が郡内で最も発展した地域であったため、4町の区域が「豊島区」と名付けられた。

さらに元を辿ると、北豊島郡はかつての武蔵国豊島郡の一部であり、「豊島」が指す範囲はより一層広かった。古代豊島郡の郡衙は現在の北区に置かれ、中世には現在の北区を発祥とし、石神井川流域を本拠地とする桓武平氏の豊島氏が豊島郡を治めた。豊島という町名が豊島区ではなく北区にあったり、同じくとしまえん(豊島氏の城の一つ練馬城の跡地)が練馬区にあったりするのはそのためである。なお、豊島氏は1477年に江古田・沼袋原の戦いで太田道灌に敗れて滅亡した。

東京市による最初の区名原案は「池袋区」(いけぶくろく)だった。その後区名案が「目白区」(めじろく)に変更され、その後各所から寄せられた様々な陳情を受け、東京府会に於いて「豊島区」と再変更され決定された。

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家族割引サービス

家族割引サービス(かぞくわりびきサービス)は、携帯電話・PHS料金の割引サービスの一つ。NTTドコモではファミリー割引、KDDI並びに沖縄セルラー電話の各auでは家族割、ソフトバンクモバイルでは家族割引、ウィルコムではファミリーパックと称される。

同一家族において、同じ携帯電話会社に加入することにより、基本料金の割引や、家族間相互の通話・メールなどに特典が受けられるサービスである。月額料金は不要であるが、別途申し込みが必要である。

なお、ウィルコムのファミリーパックはウィルコム定額プラン専用のサービスである。

「家族」とされるのは、auの場合、戸籍謄本または健康保険証で関係を証明できる範囲である。これに対しNTTドコモの場合は主回線契約者から三親等以内が対象である。

複数回線を利用していれば、主回線の契約者名義の回線のみでも契約はできるが、ガラケーとスマホまたはルータの2台持ちなどを想定しており、第三者に使わせることは規約上禁止されている。

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女子十二楽坊

女子十二楽坊

中国伝統楽器の演奏家で構成されるインストゥルメンタルバンドであり、中国及びアジアの伝統楽器を使用する。演奏分野は、ポップ・ミュージックからクラシック音楽、中国民族音楽までと幅広い。代表曲は『奇跡』『自由』『輝煌』『敦煌』など。

公演によっては参加メンバーおよび人数など変動がある。かつて、多くのメンバーが中国国内の他楽団や音楽学校と掛け持ちをし、他楽団・学校の仕事が優先されることもあった。 全員が幼少の頃から中国伝統楽器の英才教育を受け、各種音楽コンクールの上位入賞歴をもつトップレベルの演奏家である。中国伝統楽器を始めたきっかけはメンバーのほとんどが友達や周囲の影響だと答えている。また、プロデューサーの王暁京によると、選考基準は音楽性のみならず容姿も重視している。

プロデューサー王暁京は、中国初のロック歌手・崔健らを売り出した辣腕プロデューサーである。

売り上げの中から、SARS研究の寄付、新潟中越地震、スマトラ沖地震、四川大地震等の義捐金寄付などをしてきた。

音楽の特徴は、中国伝統楽器の伝統性・芸術性を押し出したものよりも、フュージョン音楽の道具として利用している曲が多い点が挙げられる。これは、従来の中国民族音楽の見直しとは一線を画した手法である。作曲・編曲は、中国伝統楽器と並んでギター奏者でもある梁剣峰が中心となっていた。プロデューサーの王暁京によると、女子十二楽坊はリズムを重視した音楽であるという。

アーティスト名である「女子十二楽坊」の「十二」はメンバーの人数を指しているわけではなく、中国で縁起のいい数字を使用したものである。プロデューサーの王暁京によると、中国の三大奇書の一つである『紅楼夢』に登場する12人の美女(金陵十二釵)と唐代の王宮にあった「教坊」から発案され、命名したという。

中国のプロダクションであるStarDisc(北京世紀星碟文化伝播有限公司)に所属するが、日本においては当初、CD/DVD制作からプロモーション、コンサート運営までプラティア・エンタテインメント(後にミューチャー・コミュニケーションズに社名変更)が担当していた。同社は、通常であれば所属事務所が行なうアーティストマネージメントまで含めて担当していた。そのため、日本国外でのStarDiscによる公演等と日本国内での運営については大きなズレが見られることがある。なお、海外での正規盤は、主にEMI香港とユニバーサルミュージック香港が扱ってきた。

2005年9月5日、過剰な宣伝費による負債をプラティアが負担する形で、ミューチャー・コミュニケーションズは資本独立する。2007年7月20日、ミューチャー・コミュニケーションズは自己破産手続きを開始した。以後、日本国内でのコンサートは、以前からコンサート実施に関わっていたプロマックスが担当、マネージメント等に関しては新たに公式ネットファンクラブを運営することとなった海日エンターテインメントに移行した。2007年の「上海」は、EMIから発売された「Shanghai」の日本盤となるため、EMIミュージック・ジャパンから発売された。2008年の「四季のソナタ」は、ユニバーサルミュージックから韓国GSRMEDIAよりライセンス受託の日本盤となるため、ユニバーサルミュージック (日本)傘下のMILESTONE CROWDSレーベルからの発売となる。

2010年より、女子十二乐坊文化传播有限公司に所属。

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中学生日記

『中学生日記』は、1972年4月9日から2012年3月16日まで放送されたNHK名古屋放送局制作のテレビドラマである。

なお、本番組の系譜はそれに先立つ1962年4月7日から『中学生次郎』のタイトルで放送が開始され、以後、『中学生時代』→『高校生時代』→『われら高校生』→『中学生群像』と番組タイトルを変えつつ本番組へと受け継がれた。

名古屋市にある中学校および高校を舞台にしたテレビドラマのシリーズ。基本的にはシリーズ開始から終了まで中学校を舞台としたが、1967年度と1968年度の2年間のみは中学校ではなく、「高校生の問題も扱ってほしい」という視聴者の要望を受けて、「高校生時代」→「われら高校生」として高校が舞台となったこともあった。

NHK名古屋放送局管内で1960年から放送されていた地域放送「教育相談番組」の中の企画である、再現ドラマがシリーズの前身である。1961年の名古屋放送局テレビスタジオ完成に伴い、全国放送向けの制作枠が毎週1本新設されることになり、前述の再現ドラマを単独番組とする形で、1962年に「中学生次郎」の番組名でシリーズは開始された。当初の番組スタイルは再現ドラマパートと、有識者・保護者・生徒による討論パートの2部構成であり、番組タイトルの通り、中学2年生の主人公である次郎の、学校生活や私生活などの諸問題を検証していく。当初は中学生ではなく、母親を視聴対象とした番組であった。1963年の「中学生時代」からは主人公がエピソード毎に代わる、シリーズ終了まで続くスタイルとなり、1969年の「中学生群像」からは討論パートが廃止され、ドラマをメインとする構成となり、討論パートについては年に数回、30分全編を討論形式とするスタイルとして放送されるようになった。視聴対象も当初の母親から、中学生へと変化していった。

開始当初から、教師同士の赤ちょうちんの場面が出るなど、長らく従来のホームドラマのような様相を呈していた。1990年代後半以降は視聴者の意向を受けて、次第に道徳的となっていった。1981年度までは名古屋市立東南中学校、1982年度から2000年度までは名古屋市立名北中学校(めいほく-)、2001年度以降は名古屋市立東桜中学校という架空の公立中学校を舞台とする中学生の学校生活や私生活などの諸問題を、毎回一話完結もしくは2 – 4話程度の連続ドラマを通して検証していく内容を基本としていたが、前述の通り討論形式での放送や、後継番組の「ティーンズプロジェクト フレ☆フレ」に近いスタイルでのドキュメンタリー形式での放送も年に数回実施されていた。なお、新作の放送期間は中学校における春休み・夏休み・冬休み期間中を除いた期間となっており、春休み・夏休み・冬休み期間中については過去に放送されたエピソードの再放送を実施していた。

出演していた中学生は「日記生」(にっきせい)と呼ばれていた。1972年の「中学生日記」より、生徒役としてドラマに出演する中学生を名古屋近郊から募集するようになり、毎年11月 – 12月に行われていた生徒役オーディションにより、当時名古屋近郊に在住していた小中学生の中から選出されていた他、番組後期には名古屋以外の地域に在住する中学生が日記生として出演する作品も制作された。それらの日記生については、ほぼ全員が実名のままの役名で出演していた。

当番組の大きな特徴として、日記生の大半は番組出演当時においては芸能人ではなく、児童劇団や芸能事務所、モデルエージェンシーに所属していない素人の一般人を起用しており、オーディションによる選考基準は一般において重視される「演技力」を不問とするなど、タレントにおける基準とは全く異なり、「中学生力」を重視した選考が行われていた。放送期間が長期に渡ったこともあり、番組後期のオーディションには世代を超えた受験者も多くみられ、世代を超えて共通の体験を持てる貴重な番組ともなっていた。2008年度から番組終了までは番組サイト上で、生徒座席表と評してその週に放送される回に出演する日記生の簡単なプロフィールを、生徒手帳を模した様式で紹介していた。

また、他の一般的な学園ドラマとは大きく異なっており、ドラマの制作にあたって、その時代に合わせて移り変わる、実際に教育現場で起きている問題および中学生の日常を忠実に反映させるために、予め日記生全員にアンケート並びに個別取材を実施し、場合によっては現場の教職員や大学教授にも取材を施した。それをもとに台本ならびにストーリーが作成されるという、番組担当者が「ちょっと変わったドラマ」と評するほど、ほかに類を見ない制作体制をとっており、視聴者である中学生に共感されるようなリアリティを、芸能人ではない素人の演技により追及していく、いわば限りなくドキュメンタリー番組に近い教育ドラマが構成され、本番組の録画を教材として利用する中学校も多かった。これにより、視聴者である中学生の共感を得続け、マンネリに陥ることなく、50年にも及ぶ長命を保つことができたといえる。50年間の日記生の総数は約5000人、作成されたドラマの総数は1500本を超える。しかし、最終的には視聴者である中学生の嗜好が変化したことなどにより、番組は終焉を迎えた。

2005年に放送された「中学生日記 アーカイブス」で、1970年代以前に放送された素材テープ(2インチVTRと思われる)をNHKが保有していないことが明らかとされた。後に、同時期の少年ドラマシリーズ等と同様に、当時の熱狂的なファンがベータ規格の家庭用VTRに録り溜めたものが提供され、それを受けて幾つかの作品が再放送された。番組公開ライブラリーでも配信タイトルに含まれている。その中から2007年に「僕は、ここにいる。〜父と子の闘争日記〜」が制作されるきっかけとなった。なお、「中学生日記 アーカイブス」のタイトルはNHKが保有する過去のエピソード(主に2002年度以前作品)の再放送時にも使われていた。

1996年に広島大学から「ペスタロッチー教育賞」が贈られた。

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金田一少年の 事件 簿

金田一少年の事件簿

『金田一少年の事件簿』は、原案→原作:天樹征丸、原作:金成陽三郎(case2巻まで)、作画:さとうふみやによる日本の漫画作品、及びこれを原作とする一連の作品群の総称。ミステリーを題材としている。略称は『金田一』。

名探偵・金田一耕助を祖父に持つ高校生・金田一一(きんだいち はじめ)が、幼馴染・七瀬美雪(ななせ みゆき)や親友・剣持勇警部、ライバル・明智健悟警視らと共に、遭遇する難事件を、祖父譲りの抜群の推理力で次々と解決していく物語である。

本格的なミステリーを題材とした漫画であり、推理漫画ブームの先駆けとなった作品である。特徴としては多くの事件が連続殺人であり、プロローグからエピローグまでを数ヵ月かけて連載し、いわゆるクローズド・サークルと呼ばれる「絶海の孤島」や「吹雪の山荘」などでの隔絶された状況下での事件が多く、犯人は舞台となる建築物や施設の構造を利用してトリックを作成することがほとんどである。また、作中の被害者は過去に人命被害が生じた事件・事故に関与していることが多く、それが犯人側の犯行動機となっていることが多い。

長編の事件の犯人には「怪人名」とされる代名詞的な二つ名がついており、その不気味な名前をした犯人が登場人物の誰なのかを当てる醍醐味がある。事件の登場人物に仮面やマスク、あからさまな偽名などによる怪しい人物がいることが多いことも特徴である他、事件に関わる土地や建物にまつわる伝承、都市伝説、噂などが怪人の名前に結び付けられていることも多い。仮面やマスクを被った人物は犯人による架空の人物ばかりだが、時にはきちんとした理由を持ち仮面やマスクを被った『金田一』の世界の実在する人物として登場する事もある。

1995年(平成7年)、第19回講談社漫画賞少年部門受賞。通常の単行本の他に漫画文庫版、極厚愛蔵版なども発売されている。単行本の発行部数はシリーズ累計1億部を突破している。

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